祈りという選択
「私達」(選択する自分)は、右に行こうか左に行こうかとか、Aに行こうか行くまいかで悩む場合が多いですね。
こうした悩みは「永遠」(死ぬまで)に続き、この悩みからは解放されません。
・・・この悩みからの解放の手段の一つが「祈り」(自己消化仕事)であることは、今更言う迄もないことです。
しかして、私達がこの悩みからの解放を目的に、例え、幾ら「祈り時間帯」や「瞑想時間帯」をもったところで、そう簡単にこの悩みを「解決」(答が定まる)することは出来ません。
神は、私達人間関係同様、私達の「強制」をお嫌いになります。
長過ぎる「祈り時間帯」や「瞑想時間帯」は、逆にマイナスになる場合が多いのです。
それでは私達の悩みは一向に解決されないわけですが、こうした場合、私達はどうすればよいのでしょうか。
要は、こうした時、その「問題」(悩み)から離れ過ぎても、近づき過ぎても「答」(悩み解決)は出てこないもので・・・
例えこうした場合であれ、他の「やれること」や「やらねばならないこと」は、やらねばなりません。